聴覚障害学生の援助の試み(7)
聴覚障害学生援助の試み(7)
次回はまた月曜日だが、それまでパワーポイントを利用したやり方を改善して、事実上パワーポイントを見ていれば、それで内容がわかるようにしようと考えている。それがいいやり方であるかどうかはわからない。今までのパワーポイントの利用は、いかにも工夫なしの、単に情報が書かれていて、それが一度に現れるパターンでやってきた。
卒論の発表会で学生にパワーポイントを使用した発表を課しているが、彼らは実に動きに満ちたプレゼンをやる。アニメ効果を一般に使うわけだ。これは、講義には必要ないと思っていたが、アニメ効果をいれて、説明文が一度に出てくるのではなく、順に出てくるようにすれば、今何を話しているのか、少なくとも要点はわかる仕組みになる。そして、その間は、音声認識ソフトもマイクオフにし、またノートテイクも休んでもらう。
そして、パワポから離れたときに、また、ノートテイクやマイクオンにする。そうすると、その間にかなりの改行をいれてしまえば、画面文字だらけというような状態は避けることができる。
これでかなり改善できるとは思う。
しかし、一方でそんな授業でいいのかという疑問もある。このようなやれば、要するに台本があって、それを読むような授業になってしまうのではないかということだ。私自身は、講義はほとんどアドリブ的要素が大きいと思っているので、もちろん、その日にやる内容はテキストで決まっているし、大筋変わることはないのだが、学生の反応や、突然思いついた内容とか、その場の進展状況でどんどん変わっていく。だから、同じ授業でも毎年少しずつ展開が違う。これが面白いと思っているのだが、かなりそうしたアドリブ的要素が制約されることになる。それでいいのだろうか、という疑問である。
昔、大学がまだエリート養成的雰囲気をもっていた頃の講義というのは、文字通り講義録を教授がもってきて、それを棒読みするような授業が多かったとか。酷い(?)教授だと、「ここで改行」とか、「点、○」などという指示までしたとか。つまり、講義録を読み上げ、それを筆記させるのが、講義というわけだ。
私は一年浪人したのだが、現役で入った友人に非常な秀才がいて、彼は教授がしゃべる内容をほとんど正確にきれいな文字でノートをとることができた。たまたま同じ教授の同じ授業をとったので、彼が自分のノートをくれたのだ。いつもそのノートをもちこんで授業を聞いていたのだが、まったくそのノート通りにしゃべっていくのだ。そして、ノートにはちゃんと冗談も書かれていたのだが、冗談も正確にノートの通りだった。
講義そのものはけっしてつまらないものではなかったが、少なくともその教授を尊敬する気持ちにはなれなかった。やはり、毎年何らかの発展があってほしいと。したがって、自分としても、毎年同じというよりは、決まった内容をしゃべっていくような授業をやりたくない気持ちが強い。
私に限らず、本などはあまりないのだし、確かに講義録をきちんと作ってくれば、筆記する意味はあるかも知れないが、情報はたくさんあり、本もあふれている現代では、そうした授業は面白くない授業の典型で、すぐにも学生からクレームがつくに違いない。今の学生は、双方向の授業を求めている。もっとも、双方向の授業が成立するためには、学生はかなり勉強しなければならないのだが。
そういう、インタラクティブな授業がいいという立場をとると、上に書いたような、パワポを使用するとはいえ、かなり一方通行的で、アドリブ的な要素がない授業をやっていいのだろうか悩んでしまう。
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