大学教育の課題(4)私語の問題1
一斉授業において「私語」は大きな問題である。小学校から大学まで、私語は授業における最もポピュラーな問題であり、教師が頭を悩ませる問題である。特に、大学の場合には、数百人の学生が受講する授業も少なくないから、そうした授業で私語が横行したら、ほとんど授業にならない。実際に、圧倒的な学生は授業を聞いておらず、おしゃべりをしているのに、黙々と講義を進める教授がいる、というようなことは、よく学生から聞く話である。幸い私はそうした目にあったことがないが、気をつけないといけない。また、私語をするよりもっと悪い現象もある。それは、出欠をとった後、学生たちがどんどん教室から去ってしまうという現象である。私自身は、どうしてそういうことを放置しておくのか理解できないが、実際に私の勤めている大学でも、数は少ないがあるそうだ。出欠を前後2回とればいいと思うが、大教室ではそれも難しいのかも知れない。しかし、出欠をとられたら教室を出て行ってしまう学生というのは、何者なのだろうか、と訝しく思うが、それが現実であることを思うと、そうした実態を前提に大学の授業を考えねばならないということだろう。
何故私語が起きるのだろうか。「大学の私語の研究」という書物もあるが、あまりに古い本なので、ここでは参考にしない。
まず考えられることは、当然、その授業がつまらないから私語をするということであろう。これは否定しようがない。しかし、ではつまらなくない授業なら、私語はないかということ、もちろん、それは違う。授業で問題意識を喚起されると、学生はとなりに座っている友人と話したくなることが少なくない。授業と全く関係ない話での私語ならば、「つまらない」証拠であるが、授業と関係ある私語なら、授業が学生に刺激を与えているわけである。
では、つまらない授業は必ず私語が発生するかというと、必ずしもそうではない。どんなにつまらない授業でも、私語が起きにくいことがある。それは学生が「作業」を強いられるときである。つまり、昔の帝国大学で普通だったように、教授がノートを読み上げ、学生はそれを必死に筆記するというような授業形式である。竹内洋は、帝国大学で私語がなかったのは、そうした授業形式だったからで、授業が充実していたとか、学生が優れていたとかの理由ではないと述べている。確かに、今の学生は、板書すると本能的にノートに書くという習性がある。だから、私語を少なくするためには、ノートさせる時間をたくさんとると効果的であるが、それがよい授業であるかどうかは、極めて疑問である。
現在の大学生は、いわゆる「参加型」の授業を望む場合が多い。尤もそれが本心であるかは問題であるが、。すべての授業が参加型になったら、学生の負担は相当大きくなるから、講義型も実は多くの学生が望んでいるというのが実態だろう。
さて、参加型の授業をして、なおかつ私語を少なくする方法はあるのだろうか。それはかなり困難な課題であるといえる。
その前に参加型の授業とは何かを明確にしておく必要があるだろう。
単に教師が教壇で話し続ける、いわゆる通常の「講義」は参加型ではないから、それ以外の学生の授業へのかかわりがある授業ということになるだろう。演習のように、学生がレポートをすれば、明らかに参加型であるが、講義形式でも学生の発言を促し、そこで討議が行われるようなものであれば、参加型である。
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