大学の授業改善5
文部科学省は、大学においても教員の授業のやり方に関する研修を行うような方向を目指しているようだが、そして、文部科学省のことだから、それを強制するのだろうが、実際のところ非常に難しいと思われる。難しいという理由は単純で、形式的なことならいざ知らず、誰が大学の授業についての研修の指導をするのかという問題がある。およそ大学の教師で、他の教師に授業のやり方を指導する気持ちになるような人は、かえってその授業が学生に支持されているか疑問だ。東海大学のグループが書いた、「授業が変われば大学は変わる」という本があるが、この本も授業のやり方についての具体的な提言があるわけではなく、学生による授業評価を行い、それを公表し、教員評価とすることで待遇に結びつけるという主張をしているだけである。そうすれば、教授たちも一生懸命授業を行い、悪い点を治していくだろうという、外からの飴と笞の政策の提言をしているたけである。
大学の授業というのは、教師たちの「研究」の上にたった、まず内容ありきというものなので、方法研究をすることは非常に難しいし、また、他人が方法について指導するのも難しいのである。このことを抜きにして、大学の授業改善を簡単に考えるべきではない。
だからといって、大学における授業の改善をしなくてもいいとか、難しいから無駄だといっているわけではない。
小学校などで授業研究を行い安いのは、担任が全科を教えることが前提であり、教えることが決まっているから、互いの授業を見せあうことで、確かに授業の方法の違いを認識し、よりよい授業を模索することが共同で可能になる。しかし、中学になると、同じ授業をやるのは、せいぜい2人程度であり、同じ教科の教師といっても、たぶん5、6人がせいぜいだろう。
ところが、大学では、マンモス大学では事情が異なるだろうが、私が属している小規模大学では、科目の担当者は一人しかいない。従って、ある授業をどのようにやればいいかいという検討は、たとえお互いに授業を見せあっても、見る方はその授業をやっていないし、また、将来的にもやらないのだから、当事者と非当事者という形になり、検討の意味が小学校などとは異なってしまうのである。
そういうことも、大学での授業研究、特に相互に授業を見せあうことは進まないのだといえる。アメリカでは、相互に授業に出席しあう関係が多いそうだが、それは決して授業研究というよりは、自分たちの研究や勉学に有用だから、学ぶ意味で出席しているのではないかと考えられる。
実は私は、今学期初めて他の教授の授業に参加させてもらった。講義形式の授業を受講したわけである。以前、その分野で日本を代表する研究者がいたときに、授業に出たいと思っていたのだが、なかなかその機会がないまま、定年でやめてしまったので、残念に思っていた。そこで、ぜひ聴きたいと思っていた授業を聴講させてもらったわけだ。もちろん、その分野の勉強をするためであって、その人の授業のやり方を学んだり、まして検討するために出席したわけではない。ただ、私とはかなりやり方が違う授業スタイルから、いろいろと学ぶことがあった。また、他の教師が出席しているということで、やはり多少の緊張はあったようで、いつもよりは内容的に充実させようという気持ちが強く働いたらしい。そういう意味では、相互受講は、大学の授業改善にいい結果をもたらすと期待していいようだ。
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